猛暑に負けるな!カニキュール(熱波)の記憶を振り返って
夏になると日本では気温の上昇により猛暑日となることが度々ありますが、近年はヨーロッパ諸国でも熱波による猛暑の影響で、日本より大きな被害を受けています。フランスでは熱波のことを「Canicule(カニキュール)」と呼びますが、近年で最も深刻な被害が発生したのは、ヨーロッパ全土が歴史的猛暑に襲われた2003年の夏でした。
世界気象機関(WMO)によると、この年は1540年以来の記録的な暑さとなり、国内の最高気温は44.1℃にまで達しました。また、世界保健機関(WHO)によると、この熱波による死者は欧州全体では約7万人と推計され、特に被害が大きかったフランスでは、8月1日から8月20日までの20日間で、地域によっては40℃を超える日が1週間以上続いたところもあり、75歳以上の高齢者を中心に1万4,802人が死亡したといわれています。
しかしながら、同時期に猛暑に襲われたヨーロッパ他国では、フランスほど死者数は増加しませんでした。フランス国内だけでこれほどまでに犠牲者が発生した背景には、猛暑だけではなく、フランスの社会的慣習、高齢化社会における生活環境の変化、医療機関における人手不足などの問題が重なったことが影響していました。
まず初めに、フランスにおける慣習として、バカンス制度が挙げられます。フランス人にとって夏のバカンスは一つの国民的行事であり、7~8月中に3~4週間の長期休暇を取得します。あらゆる人がこの時期に一斉にバカンスで旅行などに赴くため、パリなどの都市部からは国外や地方に人が流出します。しかし、高齢者や体の不自由な人はバカンスに行くことが出来ずに取り残されてしまうため、周囲から孤立してしまうことになります。
次に、フランスの住環境と高齢者の生活状況が関連します。多くの住宅、特に古いアパルトマンには暖房設備はあっても冷房設備がありません。通常、フランスは西岸海洋性気候で夏でも気温がそれほど上昇せず、湿度も高くないので比較的快適に過ごすことができるため、エアコンなどの冷房が設置されていないことが普通です。特に都市部では、自立して生活する一人暮らしの高齢者の多くがそのような住環境において生活してします。中には家族と連絡を取っていない人も多く、そうした状況下でこれまでに経験したことのない猛暑が襲ったことにより、熱中症などで多くの高齢者が家族や周囲の人々に助けを求めることができないまま犠牲となりました。
最後に、医療現場における人手不足問題です。慢性的に病院では医師や看護師が足りないうえ、不幸にもバカンスシーズンで医療従事者が手薄な状況だったことも重なり、猛暑で運ばれてくる患者に迅速かつ適切な治療を施すことが困難でした。また、公立施設における介護体制の遅れも明るみになり、多くの施設において人員不足や設備改善の必要性が指摘されました。
事態の深刻さから、2003年の熱波後、フランスでは医療現場における労働体制、高齢者医療と介護の連携、高齢者を取り巻く住宅環境などの課題について対応策の見直しと改善がなされました。また、高齢者や障がい者の孤立を防ぐため、アソシアシオン(民間団体)による地域社会活動が活発化し、相互の連携が進んだことも大きな変化の一つでした。これらの反省と教訓は、今日においても各地域での取組みに活かされているようです。
フランスでは2019年にも、6月24日~7月7日と7月21日~27日の二度に渡り熱波に見舞われました。とりわけ6月28日には南部エロー県で国内観測史上最高気温となる46℃を記録し、この二度の熱波による死者は1,435人に登りました。この年は、気温だけを見れば2003年以上に厳しい夏となりましたが、死者数は大幅に減少しています。その背景には、かつての経験から学んだ新たな対応と取組みがあったとみられています。
例えば、2003年の熱波をきっかけに導入された、熱中症警戒情報システム「SACS(Système d’Alerte Canicule et Santé)」がそうした取組みの一例として挙げられます。このシステムは全国熱波計画「PNC(Plan National Canicule)」の一環として、熱波発生時の影響や健康上のリスク、予防対策などを4つのレベルとカラーで分けて発令し、市民に対して、熱波から身を守る手段を意識してもらうことを目的としています。パリ市では、2019年6月21日時点で、同月23日より同システムに基づく警戒レベル3を発令することをアナウンスし、猛暑に対する事前の警戒を呼びかけました。2019年の死者数が相対的に低く抑えられた背景には、医療体制の改善などもありますが、このような警戒体制の整備も一つの要因として挙げられるという見方もあります。
≪全国熱波計画の警戒レベル(Les niveaux d’alerte du Plan National Canicule)≫
●レベル1-シーズン中の監視(veille saisonnière)
毎年6月1日から9月15日になると自動的にアクティブ化され、システム運用の検証や気象の監視、健康へのリスク評価、特定の集団(高齢者や幼児などの社会的弱者)に対する予防策、電話相談プラットフォームの開設などが開始され、熱波に迅速に対応できる状態に入ります。なお、気象の状況により、アクティブ期間は前後することがあります。識別カラーは緑色です。
●レベル2-熱波注意報(avertissement chaleur)
より監視が強化されたフェーズであり、レベル3に移行する可能性を視野に入れて、さまざまな対策や管理体制の強化と準備段階に入ります。特に、地域や対象者間での情報提供やコミュニケーションのため、週末や祝祭日の前日においても対応が実施されます。識別カラーは黄色です。
●レベル3-熱波警報(alerte canicule)
この警報は県地方長官によって発令されますが、発令にあたっては、必要に応じて地域の状況(大気汚染レベルや人口要因など)や健康指標を考慮し、県地方長官と地域保健庁(ARS)が連携して決定します。警報が発令されると、県地方長官は県の熱波管理計画(PGCD)の枠内であらゆる適切な対応を実施します。熱波の強さや期間に合わせて、自治体や地域、医療関係者などが予防や管理のために行動し、その内容は個々の予防行動(水分補給、運動制限、涼しい場所への移動など)の呼びかけ、外来診療サービス、訪問看護サービス(SSIAD)、在宅支援サービス(SAAD)への動員、市役所の名簿に登録されている一人暮らしの高齢者や障がい者への支援、ホームレスへの対策などが挙げられます。識別カラーはオレンジ色です。
●レベル4-最大限の警戒(mobilisation maximale)
レベル4は例外的、かつ非常に激しい熱波が長く続く場合に発令されます。このような熱波においては、干ばつや飲料水の供給、病院や葬儀場の飽和、停電、森林火災、労働時間の調整や特定の活動の中止など、さまざまな分野で副次的影響が見られ、例外的な措置を講じる必要があります。危機が分野横断的なものになると、国の対応に最大限の動員と調整の必要があり、関係する全省庁をまとめた省庁間危機管理ユニット(CIC)が始動しますが、このレベルに移行するための判断は首相に委ねられます。識別カラーは赤色です。
熱中症の症状や熱波に対する予防行動などを呼びかけるポスター(Ministère des Solidarités et de la Santé)
2021年8月現在、幸いにもパリでは快適な気温の日々が続いており、むしろ例年と比較すると涼しく感じることも多々あります。しかしながら、地球温暖化に伴う気温上昇の傾向は継続しており、この先も熱波襲来のリスクはさらに高まるとみられています。毎年のように発生する熱波に対して、今後フランスではどのような対策と環境整備が行われていくか、引き続き注目してまいります。
【参考サイト及び文献】
1.Ministère des Solidarités et de la Santé
2.La préfecture et les services de l’État en région
3.Le Plan national canicule
4.Météo France
5.France 24
6.小磯 明「フランスの医療福祉改革」日本評論社(2019年)